ヴェルサイユ
馬術競技と近代五種の会場となります。
フランス式庭園に、3万人収容の仮設競技場と2台の巨大スクリーンが設置され、大運河沿いでは総合馬術のクロスカントリーが行われます。
競技エリアの左右にはフランス式庭園を思わせる植栽が配置され、絢爛豪華な宮殿を背景に、一流選手たちの美しく優雅なパフォーマンスが期待されます。
17世紀のある日、国王ルイ14世は、財務長官フーケが新しく建てたヴォ―ル・ヴィコント城の完成披露パーティに招待されました。 王であるルイ14世は、家臣のフーケが、贅を尽くして完成させた城にショックを受けてしまいました。 自分を差し置いた贅沢の極みである城に怒りを覚え、フーケを失脚させ牢獄に入れてしまいます。
ルイ14世は、フーケのヴォー・ル・ヴィコント城よりはるかに素晴らしい築城を決心します。
アンドレ・ル・ノートル(フーケの城の建築家)やシャルル・ル・ブラン(鏡の間の設計)に、ベルサイユ宮殿と庭園の工事を任せました。
ベルサイユには、父親のルイ14世の狩猟の館がありました。 この土地は、周りが湿地であったため工事は難航します。
敷地を広大に拡大し、膨大な量の土を運び盛土で土台を作り、森を移し、噴水のために川の流れを変えて、セーヌ川の水を巨大なポンプで丘の上まで持ち上げる設計・工事に、40年以上の歳月を費やしました。
小トリアノン宮は、国王の植物学と農学に対する情熱から生まれました。ルイ15世は、この地域に実験農場(動物園)、植物園、温室などを作らせました。
ルイ16世の王妃マリー・アントワネットは、子供たちとここを訪れ、小さな村落を作り農業などを体験させ、自然の中で癒しの時間を楽しんでいました。